米軍ハウス思い出遺産編

キャンパスの木々が色づきだし、最近は視線をあげてゆっくりと登校している原田です。はやく紅葉を見に庭園に行きたいものです。

庭園が昔に作られたように、四季を楽しむというのは今も昔も変わらないようで(むしろ昔のほうが・・・)、大宰府で学問の神様として信仰されている菅原道真は1000年以上前に、

このたびは幣もとりあへず手向け山もみぢの錦神のまにまに

と紅葉を詠んでいます。

軍人として、仕事をするために日本に来られていたわけですが、アメリカ軍人の方も日本の四季を楽しんでいてくれていたらなぁなどと思うわけです。

それでは、大橋キャンパスと大宰府の中間地点に位置する春日市の米軍ハウスの話に戻っていきましょう。特に、この記事では日本人の、アメリカ軍人との交流の思い出を中心に綴っていこうと思います。

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アメリカ軍人がいる場所では犯罪が多発してしまうというイメージがついている方も多いと思いますが、米軍ハウスの会に所属している方のお話を聞くと、当時の思い出を語ってくださった方はそういう負の思い出はまったくなく、逆に良い思い出ばかりを話されたそうです。

そこでその思い出のひとつには、米軍の基地で年に1度日本人も基地に入ることができるお祭りがあって、そこで初めてハンバーガーやアイスクリームなど、今まで食べたことのなかった夢のようなごちそうを食べた、というものがあったそうです。このような、このまま消えてしまうのは惜しい、きらきらとした思い出がたくさんあるそうです。

このインタビューを通じて、福岡にアメリカ軍が駐留していたという歴史を伝える際に、米軍ハウスという「もの」だけでなく、そこで生活していた人の「記憶」も保存し発信していく必要があるなと感じました。

しかし、現状では米軍ハウスがあることで生まれた思い出を持っている方が減ってしまってます。そこで、米軍ハウスの会ではこの思い出たちを「短歌」のように後世に残る形にしよう模索している最中で、このインタビュー中には小説やラジオドラマといった案が出ました。この活動では、デジタルネイティブ世代の学生の視点も多いに役に立ちそうだと実感しました。これからもどんどんアイデアを出していき、それを形にすることにもかかわっていけたらなと思います。

以上で記事を終わります。ありがとうございました。