春日ベースハウスまちあるき

こんにちは工業3年 山崎、今本、丸山、堀切です。春日ベースハウスまちあるきの会に参加させていただいた際に感じたこと、考えたことをまとめてみました。

先日、春日ベース・ハウスの会による春日・大野城地区米軍ハウスまち歩きに参加させていただきました。

まち歩きとは、住宅街の所々に建っている米軍ハウスを観て回るものです。ただそれだけのことですが、米軍ハウスを見つけるのは意外と難しく、また、一軒一軒微妙な違いがあるのです。しかし、まち歩きを経験することで、米軍ハウスの特徴が少しずつ分かってきて、一軒一軒の違いが見えてきます。この経験こそがまち歩きの一番の醍醐味だと思います。さらに、 米軍ハウスに現在住んでいる方から、当時の話や生活についてのお話を聞くことが出来るので、米軍ハウスの外装についてだけではなく、内部や生活、歴史についても知ることができます。フランクな雰囲気で、気軽に参加できるので、是非米軍ハウスまち歩きに参加してみてください。

______________________________________________________________________

なによりも今そこで住んでいる人達の話が聞けてよかったです。暮らし方も同じ米軍ハウスと言えど多種多様なところも面白いと思いました。

_______________________________________

12月15日に春日ベースハウスの会に参加し、春日に残る米軍ハウスを歩いて見て回りました。

まず、米軍ハウスとは、ですが、米軍ハウスとは1950~1960年代に米軍基地の外に米軍将校のために建てられた住居のことです。米軍ハウスには共通する外見上の特徴があり、コンクリート屋根であること、出窓があること、入り口付近の壁に番号が振ってあること、なとです。そして、米軍ハウスには今も人が住んでいます。米軍兵が住んでいるのではなく、日本人が生活の住居として利用しているのです。 今確認されている棟数の米軍ハウスを見て回ってきました。

一棟目の米軍ハウスには女性の方が住まれていて、その方からお話を聞くことができました。女性の方が住まうその米軍ハウスでは大きく改装を行っており、外見は米軍ハウスでも内装は日本風になっていました。かつてはユニットバスがあり、欧米式の住居だったらしいのですが、そうやって日本人の住み方に馴染むように住居のほうを変えて暮らし方が見れました。

また、ある米軍ハウスでは今は誰も住んでおらず、中に入ってみることができました。前住んでいた方が日本人だったのか、中には畳の和室がありました。フローリングの上に畳を敷いただけなのですが、ここでも日本の暮らしに合わせる住み方が見れました。床は畳で窓は出窓で文化の混合がこの和室では見ることができました。

しかし、後半の米軍ハウスでは玄関の外に靴を脱いでいる光景を見ました。欧米式の住居では靴は脱がずに家に上がるので、靴を脱ぐ玄関はありません。なので、その米軍ハウスにおいては靴を扉の外側に脱いでいたようです。これは住居を日本の文化に合わせるのではなく、生活の仕方を住居に合わせているなあ、と思いおもしろく感じました。

最後には米軍ハウスをリノベーションしたアニバニという喫茶店で参加したメンバーでこらからの米軍ハウスについて話しました。そこで聞いた、当時の地図には米軍ハウスの場所には~宅など名前ではなくただ外人とだけ書かれている、という話に当時の文化間の差を感じました。 僕は、米軍ハウスを戦争の負の遺産として残していくだけではなく、アニバニのようにリノベーションなどを行い、人が新しく利用できるようにすれば、リノベーション等の活動が話題になることで米軍ハウスにまつわる歴史等を知ってもらうきっかけともなるのでは、と思いました。